鏡を見て自分の腹筋に惚れ惚れする。このまま上半身裸で博多の街に繰り出したい。そう、ここはマッチョな男達が夜な夜な集う高級でマニアックなジムだ。
僕がこのジムに通いだして早3年。最初はトレーニングの方法も全くわからない素人だったが、ジムの会長や先輩会員さんが手取り足取り鍛えてくれたから、今では新しく入った会員さんに筋トレとはなんぞや? と講釈を垂れるほどの知識が増えた。同時に、筋肉も最初は子豚みたいだった体が、上半身はゴリラ、下半身はガゼル、腹は亀の甲羅のようにバキバキになった。
今日も筋トレに精を出す。筋肉をつけるために冬は体脂肪も一緒に増やしていたが、露出度の多い夏に向けて一気に体脂肪を落としていく。その為に、筋肉トレーニングとは別に1日10キロの有酸素運動を取り入れていく。そして、食事の面でも高タンパク、低カロリーになり、炭水化物、脂質は極力控えるようになる。そうすると18%ぐらいあった体脂肪率が一気に8%ぐらいになる。
勿論、体はバキバキのキレキレになってくるのだが、その反面毎日が辛い。食べたいものが食べれないストレス。糖質や脂質がないから元気が出ない。フラフラして頭が回らない。力も入り辛くなる。免疫が下がり風邪も引きやすくなる。しかし、そんな時でも自分の決めた目標の体型になるまでは妥協せずにやり抜けるようになった。
トレーニングの知識もプロ並みに頭のなかに有る。会長や先輩の助けはもういらない。一流のビルダーになった気分で最高だ。ヘッドホンを付け、お気に入りのエレクトロダンスミュージックを爆音で流しながらガシガシ鍛え上げる。
「よしっ! ラスト3回!」そう思って力を振り絞った瞬間「グキッ!!」背中の真ん中より少し右側から変な音が聞こえた。途端に激痛が走った。久しぶりにやってしまった。背中が痛くて首を動かせない。明日のトレーニングに響くと困るから、なんとかシャワーを済ませて、怪我した部位を氷で冷やしながら行きつけのマッサージ屋さんに向かう。
このマッサージ屋さんは、少し値段が高いが腕がいいだけでなく美人のお姉さんが揃っている。一昔前のお金がない自分だったら保険で済ませられる整骨院に行っていたが、料金は一般的な整骨院と比べて25倍位はするが、仕事が上手くいきだして小金が財布に入りだした今は美人で腕の良い女性がいるこのお店にしか来なくなっていた。
怒られても気付かない
受付は顔パス。すぐに施術は始まった。「あ〜 背中だけでなく、広背筋や三頭筋がやられていますね」とお姉さん。ピンポイントで効果的な場所を施術されると気持ちが良い。だんだん痛みが有る背中も楽になってきた。
調子に乗ってトレーニングしてたからな…… 何となく痛みは感じていたけれど、筋トレする自分に酔っていてあまり注意していなかった。
それからマッサージに数回通い、ストレッチの方法や、気をつけるべき点など教えてもらって背中の痛みは完治した。
それから2ヶ月後・・・
僕はまた背中を痛めた。今度は前回よりも酷い。腕も上がらないほど筋肉を断裂した感じだ。夏も真っ盛りで体も絞れてきて、毎日タンクトップを着て街を歩き、女の子の視線にウキウキしていた頃だ。痛みがあった時はなんとか早く治したい一心で治療に専念し、トレーニングの仕方やケアにも注意を払っていたが、痛みが消え体に自信も持てるようになってきてからはまた注意を怠っていた。あぁ、せっかく絶好調だったのにまた療養だ……
いつものマッサージ屋さんに行くと、お姉さんから激怒された。
「この間あれほど言ったじゃないですか!! すぐ忘れちゃうんだから。今度から、そろそろ調子が崩れくるだろうなと思ったらこちらからご連絡しますね!」
調子に乗るとすぐ自分のことが分からなくなるから、そのころに連絡をもらえるとありがたい。お姉さんに感謝だ。今回の背中の怪我は、前回より回復に時間がかかったが徐々に良くなった。
また、筋トレの三昧の生活をおくるようになったが、以前と違いお姉さんからたまに連絡が来るようになった。基本的に自分の調子がわからないからお姉さんの連絡があったときには、信じて必ずお店に行くようにした。
お姉さんに色々言われたくなかったので、念入りにストレッチもして、食事も気を付けてコンディションをバッチリにしていったのに、色々ダメ出しされたことも有る。逆にあまり良くないかな? と思っていたのに、これなら大丈夫です。と言われたこともある。自分の調子が分らない…
あまりにもお姉さんと自分の思うところが違うから聞いてみた。「調子がいい、悪いはどこで見分けているんですか?」お姉さんは詳しく答えてくれた。そして、次の来店の際には細かいポイントをプリントにして渡してくれた。肌の艶、体の歪みのポイント、力の強弱、睡眠の質、内臓の硬さなど沢山のポイントが事細かくチェックシート方式で書かれていた。このチェックシートを2週間に一回チェックして、チェックが5つ以上入ったら調子が悪くなっています。
次回の来店頻度は、チェックが4つぐらいにきてくださいね。5個以上ついてから来るのでは遅いです。また、怪我の元になりますから気を付けて下さい。それからは、怪我をすることはなくなった。そして、チェックシートも勿論だが、チェックがゼロでも自分から定期的にお姉さんのところに施術を受けに行くようになった。車検と同じでメンテナンスだ。壊れてからでなく、壊れる前に調子が悪くなくても定期的にチェックしておく。
スタッフに気付かせるタイミング
この行動パターンが身についてから。スタッフに対する教育も色々気付きを得て変わった。スタッフも始めの頃は覚えることが沢山で、一生懸命マニュアルを見て勉強するが2〜3年経つと、日々の仕事にも慣れてくる。そして、自分で考えることができ自立してくるのだが、この慣れ始めたタイミングで事故を起こす。
定期的に自分の調子や、やっていることが間違っていないか聞きに来たり、面談の際に話してくれるスタッフは大丈夫なのだが、問題は自分が調子が良いと勘違いしているスタッフだ。このようなスタッフは大事故を起こす可能性が高い。
仕事で結果が出て、なんでも上手くいきだし、周りからちやほやされだすと、調子に乗ってくる。ここでこんなスタッフは、こちらから気付かせる必要がある。マッサージ屋のお姉さんと一緒で、調子に乗って行動する度に、そのつど注意したり、気づかせたりしないといけないのだ!現実を細かく見直させる。分かっていないスタッフほど自分の現実や状態がわからない。勿論気をつけて毎日鏡という自分をじっくりと見つめ直すことはしない。
定期的に強制的にフィードバックをもらい安定してきたら、すこしづつ教育から気付かせる方にシフトチェンジしていく。新入社員には教えないことが沢山あるので教育することが大事だが、中堅以上になると教育も勿論だが、それよりも気付かせることで本人の行動の幅を広げてあげる事が大事だ。
調子に乗り出した時、それがある程度成長したスタッフに気付きを与えるタイミングだ。
※この文章はフィクションです。